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座右の銘のいなし方講座
座右の銘って言葉がありますね。

会社の面接できかれることもあればブログのバトンできかれることもあって、実生活ではちょくちょく出くわす存在ですが、こいつを見るたびに俺はどうしたらいいのかわからず硬直してしばし手付かずの金縛り状態になります。

座右の銘を公言するって行為ははっきり言えば、自分の内面を格好よくアピールすることだと思うんだけど、まぁ古い例えかもしれないけどディスコのお立ち台みたいな。

もう少し詳しい意味を辞書で調べてみましょう。

ざゆう-のめい ―いう― 【座右の銘】<

常に自分の心にとめておいて、戒めや励ましとする格言。座左の銘。

さて、戒めや励ましとする格言ということは裏返せば、座右の銘を持つ人は、日常生活においてはその座右の銘を実践しきれていないという逆説がなりたちます。
なぜならその格言を完全に体得し実践できている人ならば、その格言をあえて更には座右の銘としないはずだからです。

つまり、座右の銘を公言するということはとりもなおさず自分がなりたくてもなれない理想の姿を人にふれて回ることになってしまうわけです。
これは言ってみれば、小学生が作文にF1レーサーや漫画家やアイドルなどの実現しがたい夢を書くような行為に相当します。
「将来の夢」のアダルト版といったところでしょうか。

そう考えると、座右の銘を公言するということはけっこう恥ずかしいことのように思えてきませんか?
(こんなことを小説家志望の俺が言うのもいまいち締まりのない話ですが)

かようなわけで、俺は座右の銘を問われるたびに色々な答えを引用してはそれを形として卒業文集などに残してきたわけですが、これが昔書いたものを読み返したりすると、目も当てられない状況になっているのです。

小学生のころ・・・冷静沈着(ってか冷静にトラブルに対処できたことなんて一度もないし)
中学生のころ・・・反骨精神(ってか典型的な中二病、親の手の平の上で暴れてるだけ)
高校生のころ・・・そんなものはありません(うわ、ニヒルを演じようとしてすべってる!!)

というわけで、座右の銘は総じて実現し得ない空想と現実世界との乖離を自己に帰着させるうんたらかんたら・・・ほにゃららら・・・

って、そんなことはどうでもよくて、考えるべきは今後また座右の銘に遭遇した際にどうすればよいのだろうかってことです。
どうすれば座右の銘に対して本当の意味で格好良く対処することができるか。
前置きが長くなりましたが、今日はそれを考えてみたいと思います。

改めて命題を整理すると

・私(以下、甲)が座右の銘を他人(以下、乙)に公言するにあたって甲は乙に好感を抱かせねばならない
・座右の銘は甲が公言するにあたって恥ずかしく感じるものであってはならない
・なお、当然ながら座右の銘は格言である以上それなりに威厳のある言葉でなくてはならない

といったところでしょうか。

中々に条件の厳しい難解な問題ですが、この命題に対するアプローチはいくらか考えることができそうです。

1.意味のわからない言葉を座右の銘にする

いきなりこいつは何を言い出すんだとか思う人もいるでしょうが、西尾維新という作家が『サイコロジカル(下)』の後書きでこんなことを言っています。

「ドストエフスキーの小説の中に『2×2=4が素晴らしいものだということは認めるが、しかしついでにいえば、2×2=5だってときにはなかなか愛すべきものではないか』みたいな一節があります。
~(中略)~
座右の銘には偉そうな箴言なんかじゃなく、こんな感じの矛盾した一文を持ってきたいものです。」

これを読んだときは、なるほど!とか思いましたね。不覚にも。
というか、こんな駄長文を書く気になった契機がこのコラムじみた後書きなんですが。

これは座右の銘をかっこう良く乗り切るためにはとてもうまいアプローチだと思います。
人はあまりにも意味のわからなすぎるものに接したとき、ぐるっと一周回ってその意味のわからなさをかっこいいものであると認識してしまうことがあります。
これはその原理をうまく突いたやり口ですね。
クールです。

2.座右の銘そのものの立ち位置を曖昧にする

まぁわかりやすく言えば座右の銘の存在意義それ自体を否定することでさらっとかわそうというポストマタドールなアプローチ法ですね。
高校生のときに俺が「そんなものはありません」と書いたのも、アプローチとしてはこれに属するものではありましたが、いかんせんそんな言葉では、他人との違いを強調して目立とうとする下心がバレバレで逆にださくなってしまっています。

そこで、座右の銘がどうしてくだらないのかということをもう少し説得力のある言葉で書くことで、自分は別に目立ちたいんじゃなくて本当に心の底から座右の銘なんて下らないと思っているんですよ、ということを示せばいいわけです。

具体的には・・・
ビアス『格言――歯の弱いものにも噛めるように、骨を抜き取った人生の知恵』
とか
キーツ『格言は人生がそれを例証するまでは、格言ではない』
とかですね。

まぁ、こんな言葉を座右の銘にするやつは間違いなく性悪だと思いますけどねwww

3.当たり前のことを座右の銘にしてみる

これは読んで字の如くですね。
座右の銘という特別な場に、あえてそんなの当たり前じゃん的なものを持っていくことで逆に格好良く見えてしまうというパラドックスを利用したアプローチですね。

当たり前の言葉なんですから、別に誰かの言葉を引用する必要がないという安上がり加減もウリです。
何でもいいんです。本当に何でも。
例えば・・・、
「人は毎日ごはんを食べる」
だとか、
「朝になったら起きよう、夜になったら眠ろう」
だとか。
こうなってくると若干、何かのコマーシャルのコピーのような体もなしてきますが、まぁそこはグッとこらえて。
こういう言葉は座右の銘という特別な立場では逆に光るもんです。

有名な例で言えば、天空の城ラピュタでシータがムスカに対して言い放つ言葉に、

『土に根を下ろし風と共に生きよう、種と共に冬を越え鳥と共に春を歌おう…
どんなに恐ろしい武器を持っても、かわいそうなロボット達を操っても、人は土から離れて生きられないのよ』

というのがあるけど、これだって考えたら当たり前のことしか言ってないですよね。
当たり前のことしか言ってないくせにやったら格好良くて泣けてくるから不思議です。




とまぁ、こんな感じで座右の銘について色々考えてみました。
何かオススメの言葉やアプローチ法があればまた誰か教えてください。

ってか、なんかエッセイみたいになったな、これ。
やったら長いwww
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